第三章 横川景三(禅那)

知 文明十五年七月十四日(一四八三年八月十七日)   大和国奈良での念仏踊りが禁止になった日に 足利義政、永享八年生まれ、四十八歳 横川景三(おうせん・けいさん)、永享元年生まれ、五十五歳 臨済宗の僧。四歳で相国寺に入り、修行を続けた。応仁の乱で相国寺は全焼したが、乱の最中に疎開先の近江から戻り、相国寺に住んだ。義政は横川を重んじ、横川に帰依した。文明十年に等持寺の住持になり、文明十二年には相国寺の住持になった。 (本文から) 義政 そうですなどと簡単に言われても困る。なにもわからないではないか。禅は人により違う意味を持つと言い、人により違うなどということはないとも言う。いったいどちらなのだ。 横川 それかこれかではなく、それもこれもとお考えになることはできませんか。答えはひとつだとは限りません。 義政 そんないい加減な。 横川 いい加減ではございません。答えが白の時もあれば黒の時もある。白に近い灰色の時もあれば、黒に近い灰色の時もある。おまけに、白と黒という時もある。答えは数限りなく、しかもどれが正解かは誰にもわかりません。 義政 それで困ることはないのか。 横川 困ります。実際多くの人が、正解がわからず、悩んでおります。 義政 悩んでいる者たちは、正解がわからないのではなく、答えが見つからないのではないか。 横川 同じことです。答えがたくさんありすぎて困るというのも同じ。誰もが悩む。それが人間です。